ビバルディ

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           ビバルディの伝記
    ビバルディは、生まれつき病弱でしたが、ベネツィアの風景・音・活気・雰囲気・音楽等
    息づいた環境で育ち、理髪店兼バイオリン奏者の父親に バイオリンの手ほどきを受けて
    育ちました。
     当時は聖職者になることが出世の早道だったため、父の意向もあり、15歳から
    司祭の修業を始めます。10年ほどの修業期間を経て、司祭になりますが、
    修業の期間に音楽と音楽家に囲まれて育ったビバルディは、ずばぬけたバイオリン奏者に
    なっていました。
     ピエタ慈善院附属音楽学校で、バイオリン教師となり、演奏に作曲にと精力的に打ち込んでいきます。
    そして、ビバルディの名声は、イタリア全土へ、ヨーロッパへと広がっていくのでした・・・。
        
 
伝記 世界の作曲家(1)ビバルディ 作曲家の伝記

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     ビバルディの略歴


1678年 ベネツィアに生まれる。病弱であったため、2ヶ月後に洗礼を受ける。
       幼いころより 父よりバイオリンの手ほどきを受ける。
1685年 父が理髪業をやめ、サン・マルコ大聖堂のバイオリン奏者となる。
1689年 このころから、サン・マルコ大聖堂の一流奏者にバイオリンのレッスンを受ける。
1693年 司祭の修業を始める。
1703年 司祭に任命される。
       ピエタ寺院付属の音楽学校のバイオリン教師となり、作曲も手がける。
1704年 病弱のため、ミサを中止。
1708年 「バイオリンとチェンバロのためのソナタ集」を、デンマーク国王に献呈。
1713年 はじめてのオペラ「離宮のオットー大帝」を上演。
1714年 オラトリオ「モーゼ・神・ファラオ」を作曲。
1715年 ピエタのために30数曲の作品を書き、オペラ作曲家として絶大な人気を得る。
1718年 マントバの宮廷楽長に就任。
1721年 ミラノでオペラ上演。
1726年 サンタンジェロ劇場の主任作曲家となる。
1740年 ベネツウィアを去って、ウィーンに定住する決意を固める。
       皇帝カール6世が死去し、後ろ盾を失う。
       急速に健康が衰える。
1741年 63歳で永眠。


     ビバルディの生涯については、手紙や教会の記録、音楽的行事に関する記事から
   検討して書かれています。亡くなってから200年後に初めて彼に関する本が
   出版されました。

             

              
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