ドボルザーク

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           ドボルザークの伝記
    ドボルザークは、チェコの動乱期に 宿屋兼肉屋の長男として生まれ、家業を継ぐべく 肉屋の修業をしながら
   勤勉に音楽の勉強を積み上げていきました。
     ピアノもなく、楽譜を手に入れるにも苦労した貧しい生活ながら、実践の中で自分独自の世界を築きあげ、
   ブラームスとの出会いにより、運命が開けてきます・・・。
    生前、あれだけの成功を極めた作曲家は数少ないと思いますが、 はじめから才能を認められたわけではなく、 
   若いころのむくわれない時代から 努力を継続して積み上げて行く中で 運を引きつけていくその生きざまに
   きっと 力を与えられていくことでしょう・・・。
   
 
ドボルザーク―チェコが生んだ偉大な作曲家
(伝記 世界の作曲家)
作曲家の伝記

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     ドボルザークの略歴


1841年 9月8日、チェコのネラホゼペス村に生まれる。
1847年 6歳で小学校入学。ヨセフ・シュピッツのもとで、本格的に
      ヴァイオリンのレッスンを受ける。
1853年 父の店を手伝いながら、肉屋の修業を始める。
1854年 叔父の家で本格的に 肉屋の修業をするかたわら、
      アントニーン・リーマンから、ピアノ・オルガン・音楽の基礎とドイツ語を習う。
1857年 音楽の道を目指し、プラハのオルガン学校に進学。
1859年 オルガン学校を2番の成績で卒業し、コムザーク楽団のビオラ奏者となる。
1863年 ワグナーの指揮する演奏家にビオラ奏者として参加し、ワグナーのオペラに心酔。
      その後、共同生活を始め、仕事の合間に作曲に熱中。
1873年 「賛歌 白山の後継者たち」を初演し、はじめて作曲家として成功する。
      アンナー・チェルマーコパーと結婚する。
1874年 聖ポエティエフ教会のオルガン奏者の職に就く。
      ウィーン文化教育省の国家奨学制度を知り、応募作品を提出。
      審査員のブラームスの強い推薦があり、奨学金が支給され、
      精力的に作曲活動を行う。
1877年 ブラームスが楽譜出版業者に紹介し、印税が入ってくるようになる。
      しかし、子供二人を相次いで亡くし、妻のために「スターバト・マーテル」を作曲。
      不朽の名作となる。
1878年 スラブ舞曲を作曲し評論家の称賛を集め、楽譜の注文が殺到する。
1880年 娘が生まれる。
1884年 はじめてロンドンを訪れ、大歓迎を受ける。
1888年 プラハでチャイコフスキーと出合う。
1890年 チャイコフスキーの招きでロシアで客演する。
1891年 プラハ音楽院の教授となる。
1892年 アメリカに招かれ、ニューヨーク・ナショナル音楽院長となる。
1893年 「交響曲第9番 新世界より」を完成し、初演。大成功をおさめる。
1895年 帰国し、プラハ音楽院の教授として復職。
1904年 5月1日、脳卒中で62歳の生涯を終える。

             

              
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